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2015年3月

2015年3月23日 (月)

滋賀の旅:神社仏閣・城郭

戦国時代に戦火が続いたのは近江だけではありませんが、琵琶湖周辺の山間部にはその時代に焼かれてそのまま廃寺になってしまった寺が沢山あったようです。山中にひっそりと残っている磨崖仏もその名残ですが、寺はなくなってしまっても村人の手で大切に守られてきた仏像があちこちにあるそうです。特に湖北地方には多くの観音菩薩が残されており、今回の旅行で何体かの素晴らしい十一面観音を見ることができました。毎度思うことですが、撮影できないのが残念です。

琵琶湖の周囲にはたくさんの城がありましたが、彦根城以外、建築物がほとんど残っていません。中でも信長の安土城はどんなものだったのか、城跡の規模を見ただけでもその威容が偲ばれます。大手道の周囲に延々と続く石垣を辿っていくと、一生分の石垣を見た気分になりました。

左から、金勝寺の軍荼利明王像、石山寺の多宝塔と寺名の由来となった硅灰石、八講堂千体地蔵尊、安土城の大手道、信長の館の安土城復元天主、彦根城天守。
その他の写真は、滋賀の旅:神社仏閣滋賀の旅:城郭にまとめてあります。

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2015年3月22日 (日)

滋賀の旅:磨崖仏

山の中の磨崖仏を見るために、滋賀県に行ってきました。最初に訪れた狛坂の磨崖仏は、栗東市の山中にあります。奈良時代に創建された金勝寺(こんしょうじ)は戦国時代に廃れるまで湖南地方の仏教の拠点として栄え、その一帯の山域は金勝山(こんぜやま、こんしょうざん)と呼ばれるようになりました。金勝寺は女人禁制でしたので、女性も参拝できるようにと九世紀に別院として建てられたのが狛坂寺です。狛坂寺は明治時代に廃寺になりましたが、山中には石垣や磨崖仏がひっそりと残されています。

福林寺跡の磨崖仏と妙光寺山の磨崖仏は、栗東市の北隣りの野洲市にあります。福林寺跡の磨崖仏は野洲中学校のすぐ裏手に、妙光寺山の磨崖仏はそれより1キロほど南の山中にあります。福林寺跡の磨崖仏はいずれもサイズは小さいですが、大きな岩の側面に並べて掘られておりとてもユニークです。

左から、狛坂の磨崖仏、福林寺跡の磨崖仏(2枚)、妙光寺山の磨崖仏、岩神大龍神の岩屋。この日の撮影分は、こちらにまとめてあります。

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